About Us

私たちが掲げる3つビジョン

代表取締役 小牧利寿


 インドネシアという国を相手に一つ大きな仕事を、と弊社設立の時は、最初、肩に力が入っていました。長い間、新聞記者だったので、ビジネスは門外漢でした。それでも、インドネシアという大きな国と相互補完に向けて仲良くやれれば日本の将来は明るい、と鷹揚に考え、各種の事業展開へのお手伝いから個人旅行のご相談まで様々な日本の方のお手伝いをして参りました。

 そんなわけで年間通してみると半分弱をインドネシアで過ごしています(現在コロナ禍で10年ぶりに半年間も現地入りしていません)。と言ってもインドネシア現地にべったりではなく2~3週間ごとに両国を往復する生活です。ですからジャカルタにいるのも東京にいるのもほとんど同じです。

 ジャカルタ中心部でビールが飲めるレストラン、現地屋台も大半は知っています(私が知る限りイスラム教徒の人々の大半は異教徒が酒類を飲むことを大目に見てくれます)。インドネシアの人々が異国人、という意識もとうになくなっていて、現地の人々との仕事も日本人の仲間たちとしているのと変わりません。

 彼らにとって日本人は外国人です。けれども私自身、仕事で外国人扱いされているという感じもありません。彼らも自然体になって「いま外国人と話している」と緊張した面持ちではなく、インドネシア人同志で仕事をしている気がするそうです。だから始めから「本音」で仕事を始められるのが、私の自負です。

 新型コロナウイルス問題の発生により日本ばかりでなく、世界中が新しい日常への転換を迫られています。インドネシアも例外ではありません。そんな情勢変化に目配りしながら日本とインドネシアの新しい前向きな関係の構築、創造に微力を顧みず邁進します。


主任研究員・事業企画調整担当

斉藤麻侑子


  インドネシアとは縁もゆかりもない秋田県の農家出身です。熊さんの話も出る緑あふれる山里の恵まれた自然環境に育ちました。異なった環境で暮らす人々を見たい、と思ったのがインドネシアに目を向けたきっかけです。高校生の時、日本による最大の経済援助国がインドネシアであることを知りました。そこからインドネシアに関心を持ち、大学でインドネシアを専攻、大学院で発展途上国を学び、初めて現地に足を踏み入れたのは2009年です。

 行ってみて、驚きました。勉強してきたつもりだったのですが、初めて見たのが高層ビルが乱立し、深夜まで自動車の太い流れが絶えない高速道路は予想以上に近代都市化した首都ジャカルタでした。ついで、世界遺産の仏教遺跡ボロブドゥール寺院で有名な「ジョグジャカルタ」、日本でも人気の楽園「バリ島」、インドネシアの温かい人々がそこにはいました。大学院の研究では、インドネシアの人々も大半は行ったこがない首都から2000キロメートル離れた貧しい「フローレス島」の農民の家にホームステイ。そこでの経験は、私の生きる価値観を決めました。

 インドネシアもいろいろですが、人口の最も多いジャワ島も大半の人々は決して物質的には豊かに見えなくても自然の緑の中にゆったりと暮らしています。人々のにこやかな笑顔、豊かな自然、ゆったりとした南国時間。自分の問題意識であった「貧しさの解消」より、幸せに生きるために人間は何が重要か、という自分自身への問いかけ始めるきっかけになりました。 

 以来、日本からインドネシアへの「援助」という一方通行から抜け出し、双方メリットのある「協力」をどう実現できるか、考え試行錯誤してきました。政府間協力に限らず、民間ビジネス、自治体の友好事業にも思いが通る新しい「国際協力の軸」を創造する、それが私のミッションであると考えています。